「オッペンハイマー」で引用される「バガヴァッド・ギーター」関連の感想

※『オッペンハイマー』がアマプラ視聴可能になったとのことなので、公開当時に急いで書いた『バガヴァッド・ギーター』関連の感想を再録します。

 

3時間どういう風に描くつもりなのかと思いましたが、「原爆の父」オッペンハイマーを「後先考えないし、罪悪感を感じるが最終的な責任は取れない男」として描くことに今回は振り切ったのかなと思いました。


■罪悪感は人並にあるが、責任は取れない男


愛人のジーンに死なれたオッピーが研究所を放り出して泣いてるシーン。「(不貞や愛人を傷つけた)罪を犯しておいてその結果に同情しろっていうの?」と奥さんが質してたのが後々の展開にも響いてきてると感じました。

ここで突き付けられた
「甚大な結果をもたらしておいて、同情してもらえると思うな」
「罪悪感でノーカンにはならん」

は全体を通してのテーマだったな…と思います。映画ではオッピーが主人公だけど、主人公に同情を誘うのが目的の映画ではない、というノーランの宣言だったのかな、とも。ストローズは、オッペンハイマーの道徳的呵責など偽りだ、断じますが、偽りではないにしろオッピー自身の罪悪感は曖昧なものにとどまっているという描写に見えました。

※実際のオッペンハイマーヒロシマナガサキへの被害についてもっと言及していたそうなので、映画ではテーマを深めるためにあえて煮え切らない描写にしてるのかもしれない。

 

■神話からの引用、プロメテウスの火

私が神話関連が好きなので、本作では神話の引用をしつこく入れている点も面白く見ました。何度も出てくるのはギリシア神話プロメテウスの火ギリシア神話のプロメテウスは、人間に火を起こす技術をもたらしますが、人間は火を基に武器を作り戦争を起こしてしまった。プロメテウスはゼウスに罰せられてずっと苦しむ、というオチ。

オッペンハイマー』の原作本の原題は「American Prometheus(アメリカのプロメテウス)」というらしいです。プロメテウスは「核爆発」という火を手に入れ、原子爆弾や水爆という武器を広める結果となったオッペンハイマーそのものでもありますね。本作では核爆発がオッペンハイマーの幻視として映し出されますが、これはオッペンハイマーが地上にもたらしてした「プロメテウスの火」の象徴的イメージを重ねてるんだろうと思います。「核爆発」自体は人類が発見した技術で純粋な力かもしれませんが、それが核兵器という形で彼の死後も脅威になると考えられなかった。そういう所まで含めて「アメリカのプロメテウス」なんだろうなと。


■神話からの引用、バガヴァッド・ギーター

そのほか、何度も引用されるのが「我は死なり、世界の破壊者なり」というサンスクリット語の一節。これは古代インドの戦争の講話『バガヴァッド・ギータ―』の一節なんですが、戦争で人を殺すことに罪悪感を覚える英雄アルジュナに対して神が「行為の結果など考えずに自分の使命を果たせ」と罪の意識を追い払うよう激励する、という文脈で出てくる言葉です。

https://www.y-history.net/appendix/wh0201-073_1.html 


「この者たちが貪欲に心を奪われて家族を滅ぼしたり親しい友同士が殺しあうことに罪を感じないとしても、一家一族を全滅させる罪を知りながらなぜわれらはこの地で戦争などをしなければならないのですか?」(ギーター    一・三七・八)

戦争による死と荒廃を憂慮する人間に対し、神は次のように話します。

「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にない。行為の結果を動機にしてはいけない。また無為に執着してはならぬ」(ギーター    二・四七)

「全ての行為を私の内に放擲し、自己に関することを考察して、願望なく”私のもの”と言う思いなく、苦熱を離れて戦え」(ギーター    三・三〇)


「『放擲(ほうてき)』は難しい訳語ですが、放棄するということです。(略)すべての行為を『私』のうちに放棄する。つまり、最高神にゆだねる。そして真実の自己に関することを考察して、願望なく、『私のもの』という思いなく、苦しみを離れて戦えということです」

(上村勝彦『バガヴァッド・ギーターの世界    ヒンドゥー教の救済』)

 

そうして神は、自分の真の姿を現し、「われは死なり、世界の破壊者なり」と告げます。疑念に囚われていた英雄は、その姿を見て再び戦場で戦う意思を取り戻す、というところで講話は終わります。


インド思想界隈だとこの「あなたの職務は行為そのものにある、その結果にない」という考えはかなり有名なんですよね。本作でもやたら「科学者は結果について考えるのが仕事ではない」「職務に忠実にただただ前進しろ」という話が出てきます。ちょっと考えすぎかもしれませんが、「世界の破壊者なり」の元ネタと背景も込みで、神話的寓意と重ねて「職務の結果に頓着しない科学者」の描写をやたら入れてんのかな…?と思う箇所が多かったです。

これも余談なんですが以前読んだ、ノーベル賞受賞の経済学者の著作『議論好きなインド人』という本で、オッペンハイマーと印パの核開発競争について神話的寓話をもとに言及してる文章がありました。


「『マハーバーラタ』の終わりに近づく部分に描かれる、戦闘と殺戮が終結したあとの土地、すなわちインド。ガンジス河平原あたりの土地の悲劇的な荒廃の様子は、アルジュナの抱いた深遠な懐疑の正しさを証明するものとも読める」

「『バガヴァッド・ギータ―』のメッセージが何を意味しようと、アルジュナの反論は完全に駆逐されてしまったのではない。たんに『前進する(forward)』のではなく、『良く生きる(faring well)』べきという力強い主張は残っているのである

 

アマルティア・セン 著『議論好きなインド人』

https://amzn.asia/d/4V9KOeT

 

正義の陣営にいるからといって、「前へ進め」という考えや理想だけで、生じた結果を正当化することはできない。多くの死に対する分析や熟慮が大事なんだと神話の寓話と核開発を絡めてまとめてたんですが
「ここで書かれてたことと今回のオッペンハイマーの話にまんま当てはまるじゃん…」と感じました。オッペンハイマーは「前進せよ、振り返るな」という神の声に異義を申し立てず、むしろ自分の側が破壊を推進する神のように振舞っていたんだろうと思います。


■「世界の破壊者」にならない、ターニングポイントもあった

オッペンハイマーがあまり結果に頓着せず、起きたことに責任を取らないあり方は随所で描写されてました。イラっとしたからリンゴに毒を入れる、妻子がいるのに浮気する、共産主義者の身内を開発に携わらせる、ストローズを過剰にやり込めて恨みをかってしまう、等々。

それでも、冒頭の毒リンゴ事件はその後に起きる死という結果を考えて、一応は引き返すことができたんですね。もう一度、オッペンハイマーがまだ引き返せるターニングポイントだったのが、アインシュタインとの会話のシーンです。

「この計算は正しいよ」という回答を得られた瞬間、核爆発が世界を本当に破壊する武器になりうるのをオッペンハイマーは理解しました。プロメテウスの火を手に入れただけでなく、核戦争で世界が滅ぶ未来までこの時点で予見してました。でも、正義の陣営にいるのだから、結果より前進が大事だと思って引き返さなかったんですね。

グローヴスにも「連鎖反応で世界が終わる可能性は<ゼロ>じゃないんだな?」と問いただされてましたが、最終的な結果・起きうる未来からは目をそらしていた様子がうかがえます。

「世界の破壊者になった」と言うが、この映画では「そういう結果にならない道もあったよね?」というシーンを幾度も入れつつ、「一度世界を破壊する手段を手に入れてしまったら以前の世界には戻れない」という恐怖を意識的にしつこく描いてました。

どんな天才でも、絶対にナチやソ連には勝たないといけない、国から予算もらってるんだから成功させないといけないという外圧とか高揚感に突き動かされるし、一度そういう渦に入ったら抗えない。そういう「渦中にいるときは結果のことは考えられなかった」というリアルを追体験するには、オッペンハイマーの一人称視点というのは最適解だったのかな、という感想になりました。


■日米の視点など


今回、日本人として映画見るアドバンテージがあるとしたら「オッペンハイマーが目をそらしていた被害の実像」を説明なくても脳裏に浮かべた上で物語を追える、という点ですかね(オッピーが目をそらしてた被爆地の写真、○○万人の被害という数字で示された被害の実態、ちらっと話題に上がって消えた原爆症の影響など)

日本の被爆の実態について具体的描写がなかったのはある意味逃げでもあると思いますが、オッペンハイマー自身が「罪悪感はあるが、自分が招いた結果を直視できない人間」と私生活でも通して描かれていたので、その描写にはかなり納得はいきました。

あと作中、日本について「ドイツにくっついてた敵国の一つ」くらいの扱いだったのもある意味率直な視点なのかなと思いました。こっちは被爆国という意識がありますが、映画撮ってる方はそっちより日本=戦争加害国の一つとして描いてんだろうなと。「日本の被爆のことは知らないけど日本が戦争中ナチと組んだ国なのは知ってる」という人の方が世界には多いというのもこの描写で感じたので、これは新鮮でもありましたね。


■まとめ

私はクリストファー・ノーランが好きなので「あまりにもオッピーその他が被害に無頓着なのは、彼らを暗に批判するために無頓着に描いてる」と好意的に解釈しちゃってますが、そうでない部分もあると思います。このほか、個人的には『オッペンハイマー』はこうの史代夕凪の街 桜の国』とセットで完成するような内容だと思ってるので、アメリカ現地の人にもセットで見て欲しい気持ちがありますね。